貴志川線の現地調査へ行ってきました

7月20日に貴志川線の現地調査へ行ってきました。
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たった2往復で、すべてがわかるとはとうてい思っていませんが、感じたことを書いておきます。

乗降客は、終点の貴志が一番多く、その次が岡崎前-伊太祁曽の間で降りる人が多かったです。
ただ、わたしが乗った電車は定員の7割程度しか乗っておらず、また夜20時の貴志方面の電車も空席があるなど、もう少し乗る人が多ければと思いました。

沿線風景ですが、当初思っていたより沿線に人家が少なく、気をもんでいたのですが貴志川町に入ったあたりから並行する県道のロードサイドに商店街が並び、郊外型の典型的などこにでもあるクルマ社会の街だと思いました。

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貴志駅で降りる人は、ほぼ3方向に分かれ、車で送ってもらう人も3名ぐらいいたので、貴志川町が、役場近辺に人が集中しているのではなく、町全体に人家がほぼ均等に散らばっているものだと思われます。

貴志駅から橋を経由してマックスバリュの方まで歩いてみたのですが、歩道の整備がされておらず暗かったの危険を感じました。

マックスバリュの駐車場は、19時30分頃という時間帯もあり、9割ほど埋まっていました。
つまり、町そのものの過疎化は問題になっていないものだと思われます。

貴志駅がなぜ、役場方面でなく、南側に行っていることが地図を見て疑問だったのですが、現地に行ってそれが解決しました。
つまり、貴志の役場や橋の方は、土地の高さが低くなっており、列車(SLを想定)としては、結構急な勾配ができています。
そのため、南側に曲がったような配線になったものだと思います。

貴志駅に帰る20時頃は、街灯がとぼしく、女性の一人歩きには適さないと感じました。

あと、時間がさかのぼりますが、大池遊園の駅から西山口まで歩いてきました。
大池遊園駅は駅前の整備がほとんどされていませんでした。
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全体的に、貴志川線は赤字路線だったせいもあり、整備がないがしろにされていた感じがします。

さて、西山口まで県道沿いに歩くと、団地が見えてきました。
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地図でそこに団地があるとはわかっていたのですが、ここまで新しくて立派な団地だとは思っていませんでした。
ここと、その近くに分譲住宅があり、そこの住民が貴志川線を使うようになれば、結構状況は良くなると思うのですが、どうでしょうか。

現地に行って思ったことは、「貴志川線の未来を”つくる”会(以下「つくる会」とする)」の、「乗って残そう貴志川線」の黄色いのぼりが至るところにあることでした。
この手の運動でいつも思うことは、貴志川線がなくなっては困る、つくる会の人と、貴志川線の必要性をあまり感じない人たちとの間で、意識のずれが起きはしないのだろうかと言うことです。
のぼりを設置するのはいいのですが、「乗って残そう」という普段利用しない人には、あまり積極的でないキャッチコピーよりも、「貴志川線は無事故1万日以上」というキャッチコピーの方が説得力があるのではないかと思います。
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あと、わたしの地元の某新交通システムの存続運動の会長が新聞紙上で「新交通システムには存続して欲しいが、普段は高速バスを乗っている」とのコメントを寄せて、大変憤慨した覚えがあります。
つくる会の人も、6000人会員の人が、可能な限り貴志川線に乗って、貴志川線を盛り上げていき、貴志川線の良さを認識してもらうことが必要ではないかと思います。


以上、長くなりましたが、貴志川線の明るい未来を、遠い名古屋から祈って、筆を置きたいと思います。
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by koh-sen | 2005-07-23 19:36 | 交通(貴志川線問題)
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